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ADHD・エスの日記

30代でADHDと診断された女の日記。ひきこもりです。社会不適応、PTSD、境界知能 フラッシュバック 二十代に何度も自殺未遂してて絵に描いたようなメンヘラですが 今も死なずに生きている。

人と違うという恐怖の記憶
周りに合わせること

無理に周りに合わせる、というのは、たとえば

「昼食をみんなと一緒にワイワイ食べる」
「興味がない話題に無理やり参加する」
「意地悪な人ともニコニコ話す」
「きらわれものとは話してはいけない」

などである

ずいぶん以前の友人と自分との会話をふと思い出した。 

友人女性「ラクだから夏は家でブラトップ(ユニクロの女性向け商品でバストカップ付きキャミソール)を着ているよー」 

私「私も着てるよ~!楽だよね!」

もちろん嘘である。

ブラトップ(ユニクロの女性向け商品でバストカップ付きのキャミソール)の存在は知っていたのだが、自分では一枚も持っていない。

そもそも、私は胸が大きいので、カップ付きのキャミソールなどでは胸が支えられず、たれるのでブラトップを着るのは無理なのだ。

でも、友人に「あなたも着てる?」と聞かれると、「着たことがない」と言えないのだ……。


ささいなことで「また周りとずれてしまう!」「何も知らないと思われてしまう!」「 変に思われてしまう!」「ださいやつと思われてしまう!」
と色々な思いで こんなつまらないことで瞬時にパニクってしまって、とっさにヘタなウソをついてしまう。

「私も着てるよ~!」と。

そして、嫌われていく……。


当時はささいなことですら、自分の好みや考えを言うことが恐怖で、ひたすら周りに合わせていた。

ずっとずっと、周りとの不適合に悩んでいた。

こんなに努力して周りに合わせているのに、どうしてこうなってしまうんだろう?

全然わからなかった。

友人関係が特にもうダメだった。 壊滅的にだめだった。


友人に突然そっぽを向かれる恐怖。
理由がわからずに、突然クラスでひとりぼっちになってしまう恐怖。

自分一人が歯車からはずれている、あの絶望感。 終わらない孤独。


人と違うということは、恐怖だ。
みんなと同じにしなければならないのである。



ようやく、今ではそう思わなくなった。

就労支援B型事業所で働き始め、「普通の人」からずいぶん遠い世界にきて、ようやく最近そう思えるようになった。


人と同じであることとは、いったい何なんだろう。
人に合わせるというのは、いったい何の意味があるのだろう。

同じ人なんて一人だっているわけないのに。

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