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ADHD・エスの日記

30代でADHDと診断された女の日記。ひきこもりです。社会不適応、PTSD、境界知能 フラッシュバック 二十代に何度も自殺未遂してて絵に描いたようなメンヘラですが 今も死なずに生きている。

発達障害は個性とか 性格のはんちゅうという意見がうけいれられない自分の心について

以前にも同じような記事をかいていたようだが


発達障害が 個性だとか
発達障害は 性格のはんちゅうだとか そういう言葉が 大嫌いだ。



もしも 性格のはんちゅうに含まれる人がいるならば、その人は 障害度が低く、社会適応ができており、二次障害を起こしていない人に限った話だと思う。

(本当にそういう人がいるのかどうかは私は知らない)


わたくしは、発達障害者について、実際には今通っているB型事業所にいるたった数名しか知らないのだが、

性格はばらばらで、社会適応度も個々様々である。

みな、事業所の中ではとても落ち着いているように見える。

しかしみな 二次障害で何らかの病気を持っている。

彼らとは、事業所の仲間として、表面的な話しかしたことはない。

障害について、語り合ったことはない。

しかし、彼らも社会の中でズタズタにされてきたのだろう。



性格のはんちゅう、そう言っている人は、ほんとうに心からそう思っているのだろうか?

これは確実に言えるが、まさか当事者がいっているわけはないだろう。


いうのは、親とか、 そのへんの連中にきまっている。



当事者だったらわかるっての。

個性だからなんだ?性格のはんちゅうだからなんだ?

それで 何か問題が片付くのだろうか。

勉強ができないことが、正当化されるのか。

空気が読めないことが、正当化してもらえるのか。

すぐに疲れ切ってしまうことを、誰もが受け入れてくれるのか。

すぐに忘れたり とっちらかっちらした仕事しかできなくても許してもらえるのか。

おかしな行動をとることを、正当化してくれるのか。

すぐに怒り出したり、すぐに泣き出したり、大人っぽい行動がとれないことを、許してもらえるのか。

人にだまされても、無条件で助けてくれるのか。

法は味方についてくれるのか。


だれか、私の見方になってくれるのか?

だれか 私を守ってくれるのか?

どこにも就職できなくても

お金をぜんぜんかせげなくても

汚い部屋で 暴れまくったり、 自傷行為にあけくれたりしていても


性格のはんちゅうだよねって クズあつかいされないでもらえるのか?


そんなわけない。


苦労するのは当事者本人であり、 苦労して死ぬほど追いつめられるのも当事者本人だ。



わたしは現に、30代で発達障害と診断されるまでは、健常者だった。

「どこにでもよくいるダメ人間のメンヘラ女」なだけだった


くるしんで くるしんで くるしみぬいて

なんとか普通になりたいと願って試行錯誤しつづけて、でも全然普通には程遠い。


つらくてつらくて、いくつ病院にいったか。
どこにいっても 状況は変わらなくて、 くるしくてくるしくて

ダメ人間のまま生き続けた。


ようやく発達障害だってわかって、今はただたた、本当にほっとしている。
もう障害者でいいんで ほっとしといてください。

私、人と同じ舞台で 戦えないんです。

もう ひっそり くらしますんで、 ほっといてください。

ただ、ほっといてください……




個性だよ、とかいわれても、


ぜんぜん同意できない。



私は 私のまま生きてよかったということで、

私は 私のまま 生きてこれなかったのは、 理解のない社会や環境が悪いということで、本人には何の落ち度もないということ?


そんなわけあるか。



いきるっていうことは苦しい。

健常者だって 障害者だって 生きるってことは苦しい。


生きていくことは くるしみなのだ。

苦しんで 苦しんで、 それでも いきてかなければならないのだ。


死ぬほど苦しんで 何度も何度も 死のうと苦労しても、成功しない。

死ぬのって本当に 大変。 死んだ人は、 ほんとうにすごい、 勇者だよ。

ダメ人間な私には、どうやったってできなかった。

無理だって悟ってからもやっぱり何度も試みたけど どうしても成功しなかった。


20歳で死にたかった。
でも こんなに死ねないってことは、 私 は おそらく90歳すぎても 死ねないだろう。

恐ろしいことだが、 今も そう思っている。 90すぎても くるしみつづけなければならないのかもしれない。 

願わくば、 そんなことにならないように、 強く強く願っている。


私は一人で生活していけない。

苦しみぬいて 出た結論である。


死ねないのだから、 死ぬまでは 福祉にしがみついて 生きてやる。

今はそう思っている。






発達障害が 


本当に 個性だとか、性格のはんちゅうだとかとして のびのびと生きていける世の中だったら、 私は 今どういう人生を送っていたのだろうか。


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