"長文(発達障害関連)"カテゴリーの記事一覧
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私には自閉症(アスペルガー)のきょうだいがいるのですが、たまにはその話をしようかなと思います。
アスペルガーというのは、タイプが色々あって、同じアスペルガーさんでも全然違います。
(受動型とか、尊大型とか、いうやつです)
実際に見ている方はわかると思いますが、男女でもかなり印象が違いますね。
悲しいことにアスペルガーさんは、だいたいとても嫌われていますね。
空気が読めないというのが、特徴だからです。
ADHDも嫌われますが、アスペルガーはさらに上をいっている気がします。
ネットの影響などもあると思いますが、アスペルガーさんの嫌われ方は、目に余るものがあります……(悪口につかわれることもたくさん)
わからないので当然ですが、アスペルガーの方は悪気がなく、ナチュラルに周囲の気遣いとか、思いやりとか、悲しみとか、そういう人の心の通う筋をぶった切ってつきすすんでいる感じがありますね。
ADHDは、よぽど、空気が読めると思います。
とても理解が難しく、不幸な(二次障害を起こしているご本人や、周囲のカサンドラを起こしているご家族や同僚の方にとっても)障害だと思います。
私のきょうだいは、とても優しくて、とてもピュアで、そしてとても空気が読めません。
私が最近になってからすすめて病院に行って、ようやくアスペルガーと診断されました。
私からみて、完全にアスペルガー受動型にあてはまっています。
友人は一人もおりません。
友人は一人もいないのに、家族の前で普段はマシンガンのようにしゃべるのです。
嘘は全然つけません。
ダサくて同じ服を着続けます。
手先が不器用すぎて、おはしがちゃんと使えないし、おフロにはいっても、ちゃんと頭を洗えていないのか、いつもなんとなく臭いです。
食べ方も口を閉じて食べられません。
外出すると、いつもおどおどとしています。
何度もキャッチセールスの標的になり、断れずに高額なものを買わされています。
昔はひどくいじめられていたようですが、親に言うこともできませんでした。(これは私もだ)
話はできて楽しいのですが、本人の意見の話になると、ぴたりと口を閉ざしてしまいます。
本当に突然何も話さなくなり、周りは混乱し、しまいには怒り出してしまいます、。
自分の考えとか、自分のことを言いたいことを言うことが、極端に苦手なのだと思います。
もしくは、自分の意見がわからないのかもしれません。
私は大人になってからは、母の代わりにわたしよりも出来のよくない(ように見える)年上のきょうだいのために、それはいろいろなことを教え、それこそ、洗顔とか、食べ方のこととか、ふるまい方とか、服装のこととか、仕事のこととか、朝はちゃんと起きることとか、本当にいろんなことを言い聞かせ、一緒にやるべきことをやり、代わりに途中までやってみせてさえしていました。
きょうだいと私はとても仲が良くて、何時間でもしゃべっていられました。
私はきょうだいが好きだったし、大事なきょうだいだと思っていました。
でも、悲しかったのは、私が遠方に嫁いでも、きょうだいからは一切コンタクトがなかったことでした。
私からメールを送ればしばらくあとに返信があるのです。電話をすれば(たいてい電源を切っていますが)たまに電話には出ます。そうするときまって話がとまらなくて長電話になるのですが。
でも、きょうだいは本当に本当に昔から受け身で、自分から動くのは、漫画を買いに行くときとか、お菓子を買いに行くときとか、自分が欲しいとか、必要だと感じたときだけで、私のためには、何もしてくれませんでした。
私はきょうだいから「〇〇日にどこかにいかない?」とか「〇〇を食べに行かない?」という誘いを生まれてから一度もされたことがありません。本当です。
私もやっと最近になって「受動的」というのはそういうことなんだと、ようやくわかりました。
私が結婚して、誰も知らない土地にきて寂しかった時に、きょうだいのほうから「最近どう? 元気にしてる?」みたいなコンタクトが欲しいと思っていました。
でもきょうだいからは一切ありませんでした。
一度、ためしたことがあります。
私からコンタクトを取らなければ、きょうだいは、どれくらいで連絡してくるのかな?と。
一年間待ちました。
一度も連絡はありませんでした。
私はあまりにも傷ついていたので、きょうだいに一年間無視されたときに、もうあの人に連絡をするのをやめようと決意しました。
今までのことがつもりつもって、もうどうしようもなく悲しかったです。
私はきょうだいにとって、思い出してももらえない存在なんだなと。
きょうだいとは二度とかかわるのをやめようと思っていました。
でも、自分が発達障害だと診断されてからは、兄弟も発達障害なのかもしれないなと考えを変えにいたりました。
だってあきらかにおかしいんですもの。
それから、きょうだいと絶縁するのはやめて、きょうだいを病院にいかせることにしました。
簡単なことではありませんでしたが……。
二次障害のうつともある私には本当に大変でした。
どうやって病院を調べたらいいのかもわからなくて、まずは地域の発達支援センターを調べて、電話をしたり、面談をするために予約をとったり……。その場所に下見としてきょうだいと一緒に行ったり……。支援センターの人に手紙を書いたり……。
すべて私が段取りをしなければなりませんでした。
これを書いていてもわかりますが、親は、全然 協力してくれませんでした。協力どころか、一切関知しませんでした。
どうして父母が少しも興味を示さなかったのかは、わかりません。
やる気がなかったのか。もしくは、障害なんてまさか、と思っていたのか。
今でも父母のことはとても恨んでいます。親のことを書く時には必ずのこの言葉を書いてしまいますが、いつか、恨んでいる、と書かなくなることはあるのでしょうか。
ああ、親のことがでてくると冷静ではいられません、脱線しました。
文章をきちんと整理して書くことができません……。
ええと。
きょうだいがアスペルガーと診断されてから、私はようやくきょうだいがどうして色々とできないのか、どうしてわかってくれないのかが、ようやくわかりました。
私に連絡しなかったのも、実家に物質的に存在しない私は、きょうだいからは見えなくなってしまったので、きょうだいにとって、見えないことは存在しないことなのでしょう。
電話をして、近況を聞くなど、受動型のきょうだいには思いつきもしないことなのでしょう。
だから、わざとではないんだということもわかりました。
でも、わざとではなくてもやっぱり傷つくし、悲しいことは悲しいのです。
なぜかコミュニケーションがうまくいかない家。
テレビを介してではないと会話できない父親。
どなってばかりの母親。
よくわからないことですぐに心を閉ざしてしまうきょうだい。
よくわからなかった祖母……。
死んでしまった祖父……。
発達障害と機能不全と、今でもよくわからない私の家族たち。
私もまたよくわからない存在なのかもしれないですね。
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コンビニ人間を読んだ感想。
以前、いつだったか忘れたが、コンビニ人間は結構面白いと勧められてから数年たった。
私は日本人の描いた小説が読めないという認知のゆがみがあるので(いやな内容の小説をたてつづけに読んだ後、読めなくなった。)まあ、この本も読めないだろうと思っていたのだが、昨日、買い物に行くのが嫌でうだうたしている時に、突然ふと手に取って読み始めた。
本自体は短いので30分ほどで読めた。
感想は、すごい共感してしまった……。 これ、まんま発達障害の人のストーリーではないの。
そして、どーんという気分になった。
(私は、この日本人著者小説を読んで感じる、いやな読後感を味わうのがとても嫌いなので、数年前のある日、日本人の小説を読むのをきっぱりと辞めたのだが、ーー (認知のゆがみか、それ以来日本人の小説のコーナーを見るだけでも苦痛になってしまい、本当に読めなくなったのだが) (日本人が書くちゃんとした小説で、愉快痛快、さわやかに終わってるものってあるの??あったら知りたい))
まず、何に共感したのかを書く。
あてはまるところとあてはまらないところがあって、
主人公の、あてはまらないところは
・「誰かとめてー!」と言われて同級生をシャベルで殴って止めた、
・小鳥が死んだ時に、「良かったねお母さん、今日の夕飯にしよう!」とうきうき言って、母や周りの人にドン引きされた、
……などというエピソードは、私にはあてはまらなかった。
あてはまるところは、
・主人公が、適応するために、周りの人が誰かのことで怒っているのを見ると、その場の空気を読んで、別になんとも思っていないのに「えーひどいですね」といったように、同調して怒って見せたりしているところ。
・それが成功して一部になっていると感じて喜んでいるところや、他の人が怒られて辞めさせられたところを見て、「私も使えなくなったらああなるんだろうな」と、感じているところ。
・自分のしゃべり方のくせやファッションが、誰かのしゃべり方のくせのまねであることを自覚しており、分析できているところ。服装についても、誰かのまねであることを自覚しているところ、そしてそれが移り変わるところ。
・普通な妹さんとの一連のやりとり。(これは長くなるので、この記事では扱わない。気が向いたら別の記事で書く。)
私も学生時代ずっと周りから浮かないように、自分では思ってもないことを嘘をついて話を合わせていたので、非常に共感してしまった。周りに適応するということは本当に難しくて、この作者は非常にうまく描写しているのではないだろうか……。
(私は雑談に加わるというのは今でも苦手で、もう今は無理に会話に入らないでずっとにこにこして聞いている(ふりをする)というのが、私の主なやり方になっている。顔は疲れるが、トラブルにはならない。)
さて、ここからが、私が本当に衝撃を受けたところだ。
二つめの、誰かのしゃべり方のくせや、ファッションがうつってしまうというのは、私も若いころ結構あって、自覚していたが、どうにもならなかった、そうなってしまうのだ。
自分でもまねっこ(この言葉を使うのは抵抗があって今日まで使ってこなかったが……わかりやすいのであえて使うことにする)していることは自覚していて、しゃべり方を直そうとしたのだが、直せなかった。
私の場合、ある友人のしゃべり方におちついた後は、もう固定してしまっていて、そこから別の人には移っていない。これから移るかもしれないが、わからない。
実は、主人公がこのようなまねっこしている描写の書籍を読んだのは、人生で二度目で、一度目は、
「自閉症だった私へ」(ドナ・ウィリアムズ) で、二度目が、この「コンビニ人間」だったのである。
そして、これが私的どーんの 主な正体でもある。
主人公がまねっこしている描写で、非常に私は驚き、「あれっ!? やっぱりみんなこうなんだ!!私だけじゃないんだ! 」といったようにある種の興奮を味わった。
さっきも書いたが、今までこのまねっこのシーンが書かれている書籍に一冊以外、出会ったことがなかったからだった。(私が本を避けているせいもあると思うが)
「自閉症だった私へ」で、ドナがキャロルに出会って「その日から私はキャロルになった」というシーンがあるのはご存知だろうか?
私は非常にこの描写に興味があって、時折ぼんやりとその光景を夢想する。。作中では多重人格のように書かれているのがだが、私はこの「キャロルになった」というのは、非常に強力なまねっこ、なりきりかもと思っている。
ドナがきれいなものや、好きなものしか食べなくて、ウサギが好きで、ウサギがキャベツを食べるから自分もキャベツを食べた、という描写がある、私はここも大好きだ。
私も(可愛いなあ)と思っていた友人が、「好き」、といっていた食べ物がその日から好きになってしまう現象があったので、ああ、なんかそういうのあるなあと思っていたのだった。
私の場合は身近な友人から移ってしまう。たとえば、私が(かわいいな)とか(いいなあ)という友人女性のしゃべり方が私にうつってしまうのだ。
低めのセクシーな声でしゃべっている友人だったら、私も同調して低くてセクシーっぽいしゃべり方になってしまう、可愛く少しばかっぽいしゃべり方だったら、私も可愛く少しばかっぽいしゃべり方がうつってしまう。
服装も同様で、年代ごとにガラッと変わっていることもある。
実は私は、食べ物の好みまで、友人のひとことで変わってしまったりするのだ……。
どうしてなんだろう?? これが、ふつうのことなのか、いいことなのか、良くないことなのかわからなくて、誰かにいったことはなかった。
みんなもそうなのだろうか?
誰かから一部をもらって、自分にしているのだろうか?
もしかしたら、みんなもそうなのかもしれないのだが、私にはわからない。
第一、そんなことを誰かから聞いたことがないし、誰からも聞かれたことがない。
自分が一瞬で変わってしまうのが、なんだか怖い。
この「コンビニ人間」という作品は、私がこれまで隠していたことを言い当てられてしまったようで、すごく衝撃的だった。
そして、そのことが非常に重く今、私にのしかかっている。
これは当たり前のことなのだろうか?
それとも、発達障害などの特有の感覚なのだろうか?
これからも私は誰かがうつってしまうのだろうか?
わからない。
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発達障害者として、B型事業所に通った。
そして、やっぱりダメになった。
今までと同じように。
おきまりの適応障害だろう。
その場になじむように我慢して我慢して、合わせた結果。
ああ、この年になってまで。
それから考えた。
発達障害者が適応するためには、 我慢して 定型発達の作った世界になじまなければならない。
それでは私はどうやったって二次障害を引き起こしてしまう。
私が私のままで 生きていくことはできないのだろうか?
私が私のままで生きて、社会に参加することは、できないのだろうか?
苦しんで苦しんで、 我慢して我慢して、 生きていかなければならないなんておかしい。
生きていけないなら死ぬしかない。
今までは それしかなかったが、これまで考えつづけた結果今は私は一つの考えにたどりついている。
適応しないで生きていくこと。
私はもう決して適応しない。
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ええと……
Twitterとかで勝手に流れてくるセカンドレイプに苦しめられていた件ですが、
昨日 山口が解雇されたということを身内が話していて知りました。
当然のことだろうと思いました。
ほっとしました。
また一つ、ダメなパターンの見本ができるのかと思っていたので。
社会通念上考えても、当たり前の対処ですよね。
未成年わいせつした人間を、アイドルとして広告塔にして、テレビに出すとか、考えられないですから。
でも………
ほっとしてツイッターのコメント、ちょっとみても大丈夫かなと思って、開いてみたんですよ。
……………
解雇されたことに対して、批判ばっかり!!!
びっくりです。
本当にがっかりです。
当然だろうね、当たり前だよ、とか、そういう言葉はないのでしょうか……
なぜ、 こんなにも わいせつに対して、 みなさん甘い考えなのでしょうか。
みなさん、あなたのお母さんや、あなたの奥さんや、 あなたの娘さんや、 あなたの妹さんや、あなたのお孫さんや、あなたのめいっこさんや、あなたの近所に住むお姉さんが、わいせつ事件にまきこまれて、
その加害者が、アイドルを続けていても、それが正しい判断だと思いますか?
私は全然思いません。
TOKIOやりたいなら、何人になってもTOKIOだと思いますよ。私は。
メンバー増やしたっていいじゃないですか。
その逆だってありだと思いますよ。
生きて稼ぐ必要があるなら、芸能活動以外で働いてほしいです。
わいせつ事件起こした教師が、教員として続けているのもおかしな話だけど、それと同じくらいおかしな話だなって思いますもの。
この流れが、全然理解できない。
みなさん、この風潮に流されていては、認知がゆがみます。
よく考えて、
自分の頭で考えるくせを つけてください。
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ジャニーズのアイドルグループTOKIOの山口が、未成年を家に連れ込みわいせつな行為をしたとのことで大ニュースになっている。
このような有名人でなくとも、被害者が女性でも男性であっても、性被害に関する報道を見るのはとてつもなくつらい。
なぜかというと、絶対に必ず、
「被害者が悪い!加害者は悪くないだろ!」
いう 謎なことを言い出す人が、ものすごくたくさんいるからである。
女性ですらそう言っている。
いや、私の夫ですら「家に行った女が悪いんじゃない?」
なんて言っていたので唖然とした。
どうしてそんな謎な考えになってしまうのか。
これはセカンドレイプであり、このことについてあれこれ報道されているだけでも、本当に気分が悪い。
大多数の方の擁護している人の意見は、男の家に行く方が悪いだろう、というのが理由らしい。
しかし、男の家に行ったらエッチなことをされる可能性があるので行ってはいけません、なんてことは、普通の女の子は誰からも教えてもらえない。
性教育なんて全くされていない日本で、そんなことを教える親がいますか??
私は教わっておりません。
あ、あなたが親ですか? だったら、お子さんに「男の家に行ったらエッチなことをされる可能性があるので行ってはいけません」としつこく何度も言い聞かせたことはあるのですか?
相手の女性は16歳だったそうです。
16歳なんて、またブラジャーも自分で買っていないかもしれない子供なのに、世間の被害者女性叩きには、本当に驚いた
また、ツイッターでこんなタグがあるそうだ。
#今度は福島がTOKIOを応援する番だ
本当に嫌な気分になった。この文章を打っている間ずっと動悸がしている。
日本は何かおかしな宗教にでも毒されてしまっているのか?
なぜ?なぜなのか?
なぜ山口は解雇されないのか? なぜそんなにも擁護されるのか?
どうしてそうなってしまうのか?
みなさん、大勢の意見にまどわされずに、きちんと自分の頭で考えてほしい。
犯罪が行われて、加害者がいて、被害者がいるということを。
弱者がいて、 強者がいるということを。
それでも、男の家に行った女性が悪い! という意見からまだ抜け出せない方たちは、ちょっと深呼吸をして考えてみてほしい。
弱者というのは、どういうことなのかを。
定型発達の人の成熟度合は、私には想像できないのだが、発達障害である自分が16歳だったころなんて、世の中のことを何も知らない完全なネンネだった。
さらに発達・知的障害がある女性だったら、未成年だろうが成人後だろうが年齢に関係なく、言葉の裏にある意味を想像することが全くできないので、被害を防ぐのが非常に難しくなってしまう。
「家で飲もうよ」「家で遊ぼうよ」と誘われたら、(家で飲む)(家で遊ぶ)しか想像がつかないのだ。
「うん!行く!」と、言われるまま男の家に行ってしまうのだ。
ここで(この女はやれる)と相手が思っているなんて、一ミリも思っていないのだ。
しかも、発達・知的障害があると、一度被害にあって懲りても、相手が違う人になっただけで、頭の中のつながりがリセットでもされてしまうのか、また同じ失敗を繰り返して連れ込まれてしまうという最悪パターンだ。
これは非常に危ないことなので、気軽にインターネットで書かない(書けない)が、事実である。
このやり方を知っている人が、発達・知的傾向のある相手に、悪用するかもしれないのだ……。
でも、事実なのである。
悪意を持った人々にとっては、幼い子供や発達障害、知的障害のある人を騙すなんて、とても簡単なことなのだと思う。
障害がなくても、グレーゾーンよりだったり、性のことなど何もしらずにいい子でのほほんと生きているような女の子は、襲われてエッチなことをされることが、どういうことなのか、平和な日本では想像もつかないだろう。
そして被害者は、何年たってもその時のことを思い出して、フラッシュバックして苦しむのだ。
ずっとずっと苦しむのだ。
上記はひとつの例である。
どうして犯罪が行われるかということ。
その人が強い者だった場合、弱者を相手にすると、意図をしなくても、犯罪行為になってしまう可能性がある。
だから強い者になった場合、しっかりと考えるのだ。
自分と相手の力関係はどうなのか。 自分と相手はどういう関係性なのか。
相手はどう感じているか。
それは正しいことなのか?
障害のあるなしにかかわらず、相手より長く生きていたり、知識を持っていたり、経験値をつんでいる人は、自分より弱い立場の人を、利用し、騙し、傷つけることができる。
これは事実なのだ。
性被害にあうのは、本人のせいなのか?
痴漢にあうのも本人が悪いのか?
いじめられるのは、その人がダメな人だからなのか?
万引きされるのは、店員が悪いのか?
放火されるのは、住人が悪いのか?
強盗に入られて殺されるのは、その人のせいなのか?
戦争で殺されるのも、その人のせいなのか?
そんなわけはないだろう。
犯罪は一人ではなりたたない。
被害者と加害者がいる事実をしっかりと想像してほしい。
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