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ADHD・エスの日記

30代でADHDと診断された女の日記。ひきこもりです。社会不適応、PTSD、境界知能 フラッシュバック 二十代に何度も自殺未遂してて絵に描いたようなメンヘラですが 今も死なずに生きている。

アスペルガーのきょうだい
私には自閉症(アスペルガー)のきょうだいがいるのですが、たまにはその話をしようかなと思います。


アスペルガーというのは、タイプが色々あって、同じアスペルガーさんでも全然違います。
(受動型とか、尊大型とか、いうやつです)

実際に見ている方はわかると思いますが、男女でもかなり印象が違いますね。


悲しいことにアスペルガーさんは、だいたいとても嫌われていますね。
空気が読めないというのが、特徴だからです。

ADHDも嫌われますが、アスペルガーはさらに上をいっている気がします。
ネットの影響などもあると思いますが、アスペルガーさんの嫌われ方は、目に余るものがあります……(悪口につかわれることもたくさん)

わからないので当然ですが、アスペルガーの方は悪気がなく、ナチュラルに周囲の気遣いとか、思いやりとか、悲しみとか、そういう人の心の通う筋をぶった切ってつきすすんでいる感じがありますね。
ADHDは、よぽど、空気が読めると思います。

とても理解が難しく、不幸な(二次障害を起こしているご本人や、周囲のカサンドラを起こしているご家族や同僚の方にとっても)障害だと思います。



私のきょうだいは、とても優しくて、とてもピュアで、そしてとても空気が読めません。
私が最近になってからすすめて病院に行って、ようやくアスペルガーと診断されました。
私からみて、完全にアスペルガー受動型にあてはまっています。


友人は一人もおりません。
友人は一人もいないのに、家族の前で普段はマシンガンのようにしゃべるのです。
嘘は全然つけません。
ダサくて同じ服を着続けます。
手先が不器用すぎて、おはしがちゃんと使えないし、おフロにはいっても、ちゃんと頭を洗えていないのか、いつもなんとなく臭いです。
食べ方も口を閉じて食べられません。
外出すると、いつもおどおどとしています。
何度もキャッチセールスの標的になり、断れずに高額なものを買わされています。
昔はひどくいじめられていたようですが、親に言うこともできませんでした。(これは私もだ)

話はできて楽しいのですが、本人の意見の話になると、ぴたりと口を閉ざしてしまいます。
本当に突然何も話さなくなり、周りは混乱し、しまいには怒り出してしまいます、。

自分の考えとか、自分のことを言いたいことを言うことが、極端に苦手なのだと思います。
もしくは、自分の意見がわからないのかもしれません。


私は大人になってからは、母の代わりにわたしよりも出来のよくない(ように見える)年上のきょうだいのために、それはいろいろなことを教え、それこそ、洗顔とか、食べ方のこととか、ふるまい方とか、服装のこととか、仕事のこととか、朝はちゃんと起きることとか、本当にいろんなことを言い聞かせ、一緒にやるべきことをやり、代わりに途中までやってみせてさえしていました。

きょうだいと私はとても仲が良くて、何時間でもしゃべっていられました。
私はきょうだいが好きだったし、大事なきょうだいだと思っていました。


でも、悲しかったのは、私が遠方に嫁いでも、きょうだいからは一切コンタクトがなかったことでした。

私からメールを送ればしばらくあとに返信があるのです。電話をすれば(たいてい電源を切っていますが)たまに電話には出ます。そうするときまって話がとまらなくて長電話になるのですが。


でも、きょうだいは本当に本当に昔から受け身で、自分から動くのは、漫画を買いに行くときとか、お菓子を買いに行くときとか、自分が欲しいとか、必要だと感じたときだけで、私のためには、何もしてくれませんでした。 


私はきょうだいから「〇〇日にどこかにいかない?」とか「〇〇を食べに行かない?」という誘いを生まれてから一度もされたことがありません。本当です。

私もやっと最近になって「受動的」というのはそういうことなんだと、ようやくわかりました。

私が結婚して、誰も知らない土地にきて寂しかった時に、きょうだいのほうから「最近どう? 元気にしてる?」みたいなコンタクトが欲しいと思っていました。

でもきょうだいからは一切ありませんでした。

一度、ためしたことがあります。
私からコンタクトを取らなければ、きょうだいは、どれくらいで連絡してくるのかな?と。
一年間待ちました。
一度も連絡はありませんでした。


私はあまりにも傷ついていたので、きょうだいに一年間無視されたときに、もうあの人に連絡をするのをやめようと決意しました。


今までのことがつもりつもって、もうどうしようもなく悲しかったです。

私はきょうだいにとって、思い出してももらえない存在なんだなと。

きょうだいとは二度とかかわるのをやめようと思っていました。
でも、自分が発達障害だと診断されてからは、兄弟も発達障害なのかもしれないなと考えを変えにいたりました。
だってあきらかにおかしいんですもの。

それから、きょうだいと絶縁するのはやめて、きょうだいを病院にいかせることにしました。
簡単なことではありませんでしたが……。

二次障害のうつともある私には本当に大変でした。
どうやって病院を調べたらいいのかもわからなくて、まずは地域の発達支援センターを調べて、電話をしたり、面談をするために予約をとったり……。その場所に下見としてきょうだいと一緒に行ったり……。支援センターの人に手紙を書いたり……。
すべて私が段取りをしなければなりませんでした。


これを書いていてもわかりますが、親は、全然 協力してくれませんでした。協力どころか、一切関知しませんでした。

どうして父母が少しも興味を示さなかったのかは、わかりません。
やる気がなかったのか。もしくは、障害なんてまさか、と思っていたのか。


今でも父母のことはとても恨んでいます。親のことを書く時には必ずのこの言葉を書いてしまいますが、いつか、恨んでいる、と書かなくなることはあるのでしょうか。


ああ、親のことがでてくると冷静ではいられません、脱線しました。
文章をきちんと整理して書くことができません……。

ええと。

きょうだいがアスペルガーと診断されてから、私はようやくきょうだいがどうして色々とできないのか、どうしてわかってくれないのかが、ようやくわかりました。

私に連絡しなかったのも、実家に物質的に存在しない私は、きょうだいからは見えなくなってしまったので、きょうだいにとって、見えないことは存在しないことなのでしょう。

電話をして、近況を聞くなど、受動型のきょうだいには思いつきもしないことなのでしょう。


だから、わざとではないんだということもわかりました。
でも、わざとではなくてもやっぱり傷つくし、悲しいことは悲しいのです。


なぜかコミュニケーションがうまくいかない家。
テレビを介してではないと会話できない父親。
どなってばかりの母親。
よくわからないことですぐに心を閉ざしてしまうきょうだい。
よくわからなかった祖母……。
死んでしまった祖父……。

発達障害と機能不全と、今でもよくわからない私の家族たち。

私もまたよくわからない存在なのかもしれないですね。
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