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私は 母親をうらんでいる
父親とは 話をすることができない
母は典型的なADHDな母親だ (もちろん母は、世代的に発達障害というものすら よく知らない)
衝動性のまま ギャーギャーギャーギャー怒鳴り散らし
整理整頓は全くできず 物であふれた家
子育ては なんとなくでやり 子供が学校に行っていさえすれば 「問題は何も無い」と信じて疑わない
自分で学習することはせず、ただただ人に言われたことをそのままやり、
デリカシーがなく、悪気なく人を傷つける
父は よくわからない
定型発達なのか、発達障害傾向なのか、それすらもよくわからない。
何を考えているのか全然わからないし、 雑談が苦手で、テレビがないと子供と会話できない
このせいで、うちは子供の頃から食卓では、テレビを介した会話しかなかった。
つまり、食事の時間は自分のことや、友達のこと、家族のことを話す時間ではなかった。
ただついている番組の内容についてあいずちをうつか、母が仕入れてくる噂話にあいづちを売っていただけだ。
父とは会話ができない。
介護しろと言われても、できない。 絶対に無理だ。
父とは他人よりも話したことがない。 話したいとは思わない。
育ててくれたことには感謝している。
しかし、なぜ、うちはこうだったのか、どうして、ああだったのか、とか、どうしても色々考えてしまうのだ。
どうしてわたしは、 あんなに苦しい学生時代をすごし、社会生活をストレスで毎日腕を切りながら、過食嘔吐しながら戦わなければならなかったのか。
もっと早くなんとかならなかったのか。
思ってしまう。
どうしても思ってしまう。
あの人たちだってそれは苦労してきたんだろうとは思うけど
どうしても 思ってしまう
あなたたち 自分の子供に、もうすこしましな対応は できなかったんですかって
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敵(夫)は日曜出勤だったので 私は一人で家にいた
色々やろうと思っていたが おきあがれない
ダメージがきいているんだろう
体が重くて重くて 食欲もない
なんとか洗濯をしたらバタンキューだった
なんと夜までふとんの中で浅く少しだけ寝る→本を読む→また浅く少しだけ寝る→本を読む をくりかえしてしまった。
(水分補給と トイレはいった。)
夫がかえってきて しかたなくおきて 夕飯のしたくをした
しんどい。
月曜日(今日)の朝ももちろんおきあがれなかった
しんどい……
体が重い。うつの重さだ。
水曜日はカウンセリングなので なんとかしたい……
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一般の社会生活をあきらめて、B型事業所に通い、認知行動療法を受けるようになってからは精神的にずいぶん落ちつきてきた。
環境を自分に最適なレベルに合わせたということだ。
私には、一般的な社会生活が分不相応だった。自分が一番よくわかっている。
(私の話だ。他の人は知らない)
本当に楽になった。
環境のレベルを下げても 自分のレベルがあがるわけではないので、やっぱり凹凸の差は相変わらず激しい。
発達障害で劣っている部分は、工夫で改善しようというのがスタンダードである。
色々やっているが どうしても忘れ物がおさまらない。
最近 夫が私がわすれそうなことを助言してくれるようになったので、非常に助かっており、ようやく夫も私の弱点を認識して協力してくれるようになったんだと非常にありがたく傍受していたのだが、どうやら夫の本位はそうではなかったようだ。
なんで忘れるんだ
ノートに書いたりしろ
もっと努力しろ
ちゃんとカウンセリングで話し合ってるのではないのか?
これだった。
がんばっている。
カウンセリングではtodoリストを作ったりメモしたりなど、 色々提案されて 私も試している。
ふせんを使ったり 携帯を使ったり パソコンを使ったりして
しかし、どうしてもダメなのだ………
がんばっているのだ
もう半年以上取り組んでいるのだ……
そしてダメ出しだ……
もう、疲れてしまった………
これ以上どうしたらいいのだ
もうどうやったって無理だ。
おなじみの、果てしない無力感を感じる。
自分はほとほとダメな人間なんだと……
しかし認知行動療法のおかげか一眠りしてから思った、
カウンセリングを受けるべきは夫なのではないのか。
夫が私に対して要求が高すぎるのではないか?
真性のバカにたいして何を求めているのだ
年金もらってるような障害者に なにを期待しているのだ。
もっと現実をみつめてほしい。
明日そういってみよう
夫は健常者と結婚すればよかったのだ。
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何度も行ってる病院で、 スリッパはきかえないといけないのに気がつかないで、 クツであがってた…
お会計おわって、帰るときに下駄箱の前に来て気がついたわ。
ええ~~!? ウッソー ハズカシイ!!
やっちゃったわ。
こんな失敗ばっかりです。
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周りに合わせること
無理に周りに合わせる、というのは、たとえば
「昼食をみんなと一緒にワイワイ食べる」
「興味がない話題に無理やり参加する」
「意地悪な人ともニコニコ話す」
「きらわれものとは話してはいけない」
などである
ずいぶん以前の友人と自分との会話をふと思い出した。
友人女性「ラクだから夏は家でブラトップ(ユニクロの女性向け商品でバストカップ付きキャミソール)を着ているよー」
私「私も着てるよ~!楽だよね!」
もちろん嘘である。
ブラトップ(ユニクロの女性向け商品でバストカップ付きのキャミソール)の存在は知っていたのだが、自分では一枚も持っていない。
そもそも、私は胸が大きいので、カップ付きのキャミソールなどでは胸が支えられず、たれるのでブラトップを着るのは無理なのだ。
でも、友人に「あなたも着てる?」と聞かれると、「着たことがない」と言えないのだ……。
ささいなことで「また周りとずれてしまう!」「何も知らないと思われてしまう!」「 変に思われてしまう!」「ださいやつと思われてしまう!」
と色々な思いで こんなつまらないことで瞬時にパニクってしまって、とっさにヘタなウソをついてしまう。
「私も着てるよ~!」と。
そして、嫌われていく……。
当時はささいなことですら、自分の好みや考えを言うことが恐怖で、ひたすら周りに合わせていた。
ずっとずっと、周りとの不適合に悩んでいた。
こんなに努力して周りに合わせているのに、どうしてこうなってしまうんだろう?
全然わからなかった。
友人関係が特にもうダメだった。 壊滅的にだめだった。
友人に突然そっぽを向かれる恐怖。
理由がわからずに、突然クラスでひとりぼっちになってしまう恐怖。
自分一人が歯車からはずれている、あの絶望感。 終わらない孤独。
人と違うということは、恐怖だ。
みんなと同じにしなければならないのである。
ようやく、今ではそう思わなくなった。
就労支援B型事業所で働き始め、「普通の人」からずいぶん遠い世界にきて、ようやく最近そう思えるようになった。
人と同じであることとは、いったい何なんだろう。
人に合わせるというのは、いったい何の意味があるのだろう。
同じ人なんて一人だっているわけないのに。
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