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ブログの存在自体を忘れていました……
いつの間にか年が明け、いつの間にか令和になりました。
私は相変わらずです。
まだいつは治らないし、デイケアも行かなくなりました。
代わりに散歩にいったり、水族館や庭園にいっています。
最近になってネットで 過剰適応という言葉を知り、自分はこれだったんだろうなと思い当たりました。
過剰に適応しようとがんばった結果、ダメになってしまうパターンをなんとかして脱出しないと。
今はまだ先のことはわからないけれど、がんばって私なりに、私ができることを見つけていきたいと思います。
あと、ストラテラ再開しています。
120/日です。
少しずつ効果があらわれているのかなーと思うので、おいおい書いていきたいと思います。
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私には自閉症(アスペルガー)のきょうだいがいるのですが、たまにはその話をしようかなと思います。
アスペルガーというのは、タイプが色々あって、同じアスペルガーさんでも全然違います。
(受動型とか、尊大型とか、いうやつです)
実際に見ている方はわかると思いますが、男女でもかなり印象が違いますね。
悲しいことにアスペルガーさんは、だいたいとても嫌われていますね。
空気が読めないというのが、特徴だからです。
ADHDも嫌われますが、アスペルガーはさらに上をいっている気がします。
ネットの影響などもあると思いますが、アスペルガーさんの嫌われ方は、目に余るものがあります……(悪口につかわれることもたくさん)
わからないので当然ですが、アスペルガーの方は悪気がなく、ナチュラルに周囲の気遣いとか、思いやりとか、悲しみとか、そういう人の心の通う筋をぶった切ってつきすすんでいる感じがありますね。
ADHDは、よぽど、空気が読めると思います。
とても理解が難しく、不幸な(二次障害を起こしているご本人や、周囲のカサンドラを起こしているご家族や同僚の方にとっても)障害だと思います。
私のきょうだいは、とても優しくて、とてもピュアで、そしてとても空気が読めません。
私が最近になってからすすめて病院に行って、ようやくアスペルガーと診断されました。
私からみて、完全にアスペルガー受動型にあてはまっています。
友人は一人もおりません。
友人は一人もいないのに、家族の前で普段はマシンガンのようにしゃべるのです。
嘘は全然つけません。
ダサくて同じ服を着続けます。
手先が不器用すぎて、おはしがちゃんと使えないし、おフロにはいっても、ちゃんと頭を洗えていないのか、いつもなんとなく臭いです。
食べ方も口を閉じて食べられません。
外出すると、いつもおどおどとしています。
何度もキャッチセールスの標的になり、断れずに高額なものを買わされています。
昔はひどくいじめられていたようですが、親に言うこともできませんでした。(これは私もだ)
話はできて楽しいのですが、本人の意見の話になると、ぴたりと口を閉ざしてしまいます。
本当に突然何も話さなくなり、周りは混乱し、しまいには怒り出してしまいます、。
自分の考えとか、自分のことを言いたいことを言うことが、極端に苦手なのだと思います。
もしくは、自分の意見がわからないのかもしれません。
私は大人になってからは、母の代わりにわたしよりも出来のよくない(ように見える)年上のきょうだいのために、それはいろいろなことを教え、それこそ、洗顔とか、食べ方のこととか、ふるまい方とか、服装のこととか、仕事のこととか、朝はちゃんと起きることとか、本当にいろんなことを言い聞かせ、一緒にやるべきことをやり、代わりに途中までやってみせてさえしていました。
きょうだいと私はとても仲が良くて、何時間でもしゃべっていられました。
私はきょうだいが好きだったし、大事なきょうだいだと思っていました。
でも、悲しかったのは、私が遠方に嫁いでも、きょうだいからは一切コンタクトがなかったことでした。
私からメールを送ればしばらくあとに返信があるのです。電話をすれば(たいてい電源を切っていますが)たまに電話には出ます。そうするときまって話がとまらなくて長電話になるのですが。
でも、きょうだいは本当に本当に昔から受け身で、自分から動くのは、漫画を買いに行くときとか、お菓子を買いに行くときとか、自分が欲しいとか、必要だと感じたときだけで、私のためには、何もしてくれませんでした。
私はきょうだいから「〇〇日にどこかにいかない?」とか「〇〇を食べに行かない?」という誘いを生まれてから一度もされたことがありません。本当です。
私もやっと最近になって「受動的」というのはそういうことなんだと、ようやくわかりました。
私が結婚して、誰も知らない土地にきて寂しかった時に、きょうだいのほうから「最近どう? 元気にしてる?」みたいなコンタクトが欲しいと思っていました。
でもきょうだいからは一切ありませんでした。
一度、ためしたことがあります。
私からコンタクトを取らなければ、きょうだいは、どれくらいで連絡してくるのかな?と。
一年間待ちました。
一度も連絡はありませんでした。
私はあまりにも傷ついていたので、きょうだいに一年間無視されたときに、もうあの人に連絡をするのをやめようと決意しました。
今までのことがつもりつもって、もうどうしようもなく悲しかったです。
私はきょうだいにとって、思い出してももらえない存在なんだなと。
きょうだいとは二度とかかわるのをやめようと思っていました。
でも、自分が発達障害だと診断されてからは、兄弟も発達障害なのかもしれないなと考えを変えにいたりました。
だってあきらかにおかしいんですもの。
それから、きょうだいと絶縁するのはやめて、きょうだいを病院にいかせることにしました。
簡単なことではありませんでしたが……。
二次障害のうつともある私には本当に大変でした。
どうやって病院を調べたらいいのかもわからなくて、まずは地域の発達支援センターを調べて、電話をしたり、面談をするために予約をとったり……。その場所に下見としてきょうだいと一緒に行ったり……。支援センターの人に手紙を書いたり……。
すべて私が段取りをしなければなりませんでした。
これを書いていてもわかりますが、親は、全然 協力してくれませんでした。協力どころか、一切関知しませんでした。
どうして父母が少しも興味を示さなかったのかは、わかりません。
やる気がなかったのか。もしくは、障害なんてまさか、と思っていたのか。
今でも父母のことはとても恨んでいます。親のことを書く時には必ずのこの言葉を書いてしまいますが、いつか、恨んでいる、と書かなくなることはあるのでしょうか。
ああ、親のことがでてくると冷静ではいられません、脱線しました。
文章をきちんと整理して書くことができません……。
ええと。
きょうだいがアスペルガーと診断されてから、私はようやくきょうだいがどうして色々とできないのか、どうしてわかってくれないのかが、ようやくわかりました。
私に連絡しなかったのも、実家に物質的に存在しない私は、きょうだいからは見えなくなってしまったので、きょうだいにとって、見えないことは存在しないことなのでしょう。
電話をして、近況を聞くなど、受動型のきょうだいには思いつきもしないことなのでしょう。
だから、わざとではないんだということもわかりました。
でも、わざとではなくてもやっぱり傷つくし、悲しいことは悲しいのです。
なぜかコミュニケーションがうまくいかない家。
テレビを介してではないと会話できない父親。
どなってばかりの母親。
よくわからないことですぐに心を閉ざしてしまうきょうだい。
よくわからなかった祖母……。
死んでしまった祖父……。
発達障害と機能不全と、今でもよくわからない私の家族たち。
私もまたよくわからない存在なのかもしれないですね。
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今年は色々あった年でした。
生活が変わったことといえば、就労支援事業所をやめてデイケアに行き始めたこと。
デイケアは月に2,3回しか行っていないのですが。
決意したことは、就労支援事業所にはもう二度と行かない、というか、就労はしないということです。
これからどうやって生きていくのかは、まだわからないですが、
二次障害を引き起こすことからは離れた生き方を模索していかないと、本当にずっとずっと同じことの繰り返しになってしまう。
もう、私のうつは一生治らないのではないかなと思っています。
20歳より前から精神科にいっているので、今更治るはずはないと思います。
病気がいつの間にか私を形作るものの一つになってしまいました。
発達障害がなければ、二次障害が起きなければ、私はどんな人生を歩んでいたのだろう?
苦しむことがあまりにも日常で普通だったので、もう想像もつきません。
今は、とても幸せです。
学校にいくこと、働くことは、私にはとんでもなくつらかったけど、今は夫のおかげでずっと家にいられるし、
昔は実家で家族とまともなコミュニケーションができていなかったけど、今は自分の気持ちや言いたいことを夫になんでも言える。
本当に今はなんて幸せなんだろうなって思います。
来年は、もう少し元気になって、自分なりに精いっぱいやれることをしたいと思います。
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コンビニ人間を読んだ感想。
以前、いつだったか忘れたが、コンビニ人間は結構面白いと勧められてから数年たった。
私は日本人の描いた小説が読めないという認知のゆがみがあるので(いやな内容の小説をたてつづけに読んだ後、読めなくなった。)まあ、この本も読めないだろうと思っていたのだが、昨日、買い物に行くのが嫌でうだうたしている時に、突然ふと手に取って読み始めた。
本自体は短いので30分ほどで読めた。
感想は、すごい共感してしまった……。 これ、まんま発達障害の人のストーリーではないの。
そして、どーんという気分になった。
(私は、この日本人著者小説を読んで感じる、いやな読後感を味わうのがとても嫌いなので、数年前のある日、日本人の小説を読むのをきっぱりと辞めたのだが、ーー (認知のゆがみか、それ以来日本人の小説のコーナーを見るだけでも苦痛になってしまい、本当に読めなくなったのだが) (日本人が書くちゃんとした小説で、愉快痛快、さわやかに終わってるものってあるの??あったら知りたい))
まず、何に共感したのかを書く。
あてはまるところとあてはまらないところがあって、
主人公の、あてはまらないところは
・「誰かとめてー!」と言われて同級生をシャベルで殴って止めた、
・小鳥が死んだ時に、「良かったねお母さん、今日の夕飯にしよう!」とうきうき言って、母や周りの人にドン引きされた、
……などというエピソードは、私にはあてはまらなかった。
あてはまるところは、
・主人公が、適応するために、周りの人が誰かのことで怒っているのを見ると、その場の空気を読んで、別になんとも思っていないのに「えーひどいですね」といったように、同調して怒って見せたりしているところ。
・それが成功して一部になっていると感じて喜んでいるところや、他の人が怒られて辞めさせられたところを見て、「私も使えなくなったらああなるんだろうな」と、感じているところ。
・自分のしゃべり方のくせやファッションが、誰かのしゃべり方のくせのまねであることを自覚しており、分析できているところ。服装についても、誰かのまねであることを自覚しているところ、そしてそれが移り変わるところ。
・普通な妹さんとの一連のやりとり。(これは長くなるので、この記事では扱わない。気が向いたら別の記事で書く。)
私も学生時代ずっと周りから浮かないように、自分では思ってもないことを嘘をついて話を合わせていたので、非常に共感してしまった。周りに適応するということは本当に難しくて、この作者は非常にうまく描写しているのではないだろうか……。
(私は雑談に加わるというのは今でも苦手で、もう今は無理に会話に入らないでずっとにこにこして聞いている(ふりをする)というのが、私の主なやり方になっている。顔は疲れるが、トラブルにはならない。)
さて、ここからが、私が本当に衝撃を受けたところだ。
二つめの、誰かのしゃべり方のくせや、ファッションがうつってしまうというのは、私も若いころ結構あって、自覚していたが、どうにもならなかった、そうなってしまうのだ。
自分でもまねっこ(この言葉を使うのは抵抗があって今日まで使ってこなかったが……わかりやすいのであえて使うことにする)していることは自覚していて、しゃべり方を直そうとしたのだが、直せなかった。
私の場合、ある友人のしゃべり方におちついた後は、もう固定してしまっていて、そこから別の人には移っていない。これから移るかもしれないが、わからない。
実は、主人公がこのようなまねっこしている描写の書籍を読んだのは、人生で二度目で、一度目は、
「自閉症だった私へ」(ドナ・ウィリアムズ) で、二度目が、この「コンビニ人間」だったのである。
そして、これが私的どーんの 主な正体でもある。
主人公がまねっこしている描写で、非常に私は驚き、「あれっ!? やっぱりみんなこうなんだ!!私だけじゃないんだ! 」といったようにある種の興奮を味わった。
さっきも書いたが、今までこのまねっこのシーンが書かれている書籍に一冊以外、出会ったことがなかったからだった。(私が本を避けているせいもあると思うが)
「自閉症だった私へ」で、ドナがキャロルに出会って「その日から私はキャロルになった」というシーンがあるのはご存知だろうか?
私は非常にこの描写に興味があって、時折ぼんやりとその光景を夢想する。。作中では多重人格のように書かれているのがだが、私はこの「キャロルになった」というのは、非常に強力なまねっこ、なりきりかもと思っている。
ドナがきれいなものや、好きなものしか食べなくて、ウサギが好きで、ウサギがキャベツを食べるから自分もキャベツを食べた、という描写がある、私はここも大好きだ。
私も(可愛いなあ)と思っていた友人が、「好き」、といっていた食べ物がその日から好きになってしまう現象があったので、ああ、なんかそういうのあるなあと思っていたのだった。
私の場合は身近な友人から移ってしまう。たとえば、私が(かわいいな)とか(いいなあ)という友人女性のしゃべり方が私にうつってしまうのだ。
低めのセクシーな声でしゃべっている友人だったら、私も同調して低くてセクシーっぽいしゃべり方になってしまう、可愛く少しばかっぽいしゃべり方だったら、私も可愛く少しばかっぽいしゃべり方がうつってしまう。
服装も同様で、年代ごとにガラッと変わっていることもある。
実は私は、食べ物の好みまで、友人のひとことで変わってしまったりするのだ……。
どうしてなんだろう?? これが、ふつうのことなのか、いいことなのか、良くないことなのかわからなくて、誰かにいったことはなかった。
みんなもそうなのだろうか?
誰かから一部をもらって、自分にしているのだろうか?
もしかしたら、みんなもそうなのかもしれないのだが、私にはわからない。
第一、そんなことを誰かから聞いたことがないし、誰からも聞かれたことがない。
自分が一瞬で変わってしまうのが、なんだか怖い。
この「コンビニ人間」という作品は、私がこれまで隠していたことを言い当てられてしまったようで、すごく衝撃的だった。
そして、そのことが非常に重く今、私にのしかかっている。
これは当たり前のことなのだろうか?
それとも、発達障害などの特有の感覚なのだろうか?
これからも私は誰かがうつってしまうのだろうか?
わからない。
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部屋がもう キャパオーバー。
片づけても 片づけても 変わらない
理由は1つしかない、
物が多すぎる。
私は 物を管理することができないのに、物をもちたがる。
夫も、 物をため込んでしまうタイプで、
彼は私よりもずっとひどい。
捨ててしまいたい……
いえ、自分のものをせめて減らして、自分のスペースだけ作ろう。 せめて、そうしよう。
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