"長文(発達障害関連)"カテゴリーの記事一覧
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発達障害は社会性の障害だと医者が言っていたことがある。
発達障害は個性だというけれど、個性の範疇でおさまるほどの軽度の人もいるし、
障害年金をもらっているような重度の人では全然ちがう。
(私は通っている作業所内でしか発達障害の方を知らないので、軽い人をみたことがないのだが)
自分の体感では個性でなんとかなるレベルではなくて、 自分一人の力で就職して生きていくことは無理だ。
軽い人を基準に「個性ですよ」みたいにひとくくりされてしまうと、
真面目に、死ぬほど努力しても社会に適合できない人たちがいることってことを、一般の人はわからないんじゃないのか
世の中は広い。
会社を創設して大金持ちになれるADHDもいるかもしれないが、
時給100円程度の作業所ですら、満足に働けないような人も いる。
性格は個性である。
発達障害は 障害だと思う。
さらに もうひと記事でも おなじようなことをかいている
こちら
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自分の体験談になるのでかなりぼかして書いている。
小学校低学年は、楽しかったと思う。
小3あたりからそうではなくなった、。
小学校高学年から中学校は、本当に本当につらかった。
毎日死にたい死にたいと思って生きていた。
わけがわからないけれど、とにかく人間関係が壊滅的にうまくいかなくなった。
いじめられるようになったのだが、いじめられている自覚がなくてエスカレートしてしまうまで気がつかなかった。
高学年くらいからはいじめはなくなったけれど、誰も私に話しかけてはこなかった。
私はいない人物のようだった。
中学時代はなんとか仲良くなった女の子グループから外されないように、とにかく尽くしていた。
残りの中学時代をいじめられないように、一人にならないように、人に合わせて自分のやりたい部活ではない部活に入り、自分の興味がない選択授業を取り、毎日毎日人に合わせて会話した。
ニコニコ笑って、必死に会話に入っていた。
そのうち、友人の買うお菓子やマンガ、遊ぶお金を払わされるようになったのだが、私は金づるになっているということに全然気がつかなかったので、ニコニコ払ってあげていた。
バカだった。
そこまでやっているのに対人関係がうまくいくかどうかは、まるでその日その日のギャンブルみたいな感じだった。
ちょっと気をぬくと相手が怒り出したりそっぽを向かれるような、綱渡りな毎日。
勉強もついていけていないのに、人間関係がうまくいくように毎日毎日気をつかって緊張状態で過ごさなければいけず、疲労した。ストレスでどか食いをしていて太っていた。
対人関係だけで本当に本当に大変なのに、外見にまで気をつかうことなんて全くできなかった。
小太りで、髪はぼさぼさで、すね毛はそったことがなくよれよれの制服を着ていた。
母親さえも私の外見に頓着していなかった。
私はその頃のみんなよりも胸が大きいのに、母親が、小さな子供用のブラジャーしか買ってくれないのでそれを使っていた。(当時は自分で下着を買うことは知らなかった)
私の胸はいつもはみ出していた。体育の時間なんかは動くのでまわりにばれてたと思う。
中学時代のことを思い出すと、同時にこの胸の事を思い出すため、暗く暗くつらくつらく、いたたまれない気分になる。
よくフラッシュバックが起きてわーっと叫んでしまう。
いじめ問題なんかだと、どうして誰かに相談しなかったのかと言う人もいると思うけれど、子供時代なんて、自分の目の前の「学校」が世界のすべてなのだ。
ほかに行き場所があるなんてことは考えもしないし、 誰かに相談するなどということは考えもつかないのだ。
それに私は世の中のことをいまいち理解していなかった。
私は大人になるまでテレビと現実の区別もかなりついていなかった。
マンガの登場人物はどこかに住んでいると思っていたし、ドラマは本当にあったことだけを脚本にしているのだと思っていた。 テレビでいっていることは全部本当のことだと思っていた。
テレビドラマで手首を切っている人(役)を見て、
誰だって死にたいと思うことくらいあるんだ、ああ、みんな大変なんだ、私なんて甘いんだ。
この人は本当に手首を切って死んだではないか。死ねない自分は弱虫なんだと自分を責めていた。
(普通の人は知らないと思うが、カッターで手首をきっても、たいていうっすらとしか切れないのだ。死ぬほどの血をだすためには、力をいれて切らなければならない。)
私はあまりにもつらい気分の時は、死ぬ気になればなんでもできるんだとおもって手首をカッターで切っていた。
まわりのみんな(中学生たち)も、たいていはつらいことがあって死にたいと思っているけれど頑張って生きていて、たいていの人はこっそり手首を切ったり自殺未遂した経験があるのだ、と思っていた。
自分が、一般的な他の同級生とくらべると、つらい思いをしているとは思っていなかった。
これは今でもそう思っている。
きっとみんなも、毎日毎日つらい思いをして生きているのだと私はおもっている。
自分が経験できていないから、想像がつかないのかもしれない。
世の中には毎日が楽しくて、ほんのちょっとしか心配しないで生きている人もいる、ということを知ったときは、心底驚くばかりであった。
もしそんな人がいるのであれば、 あなたは本当に幸せな人なんだよと教えてあげたい。
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忘れ物が多いからつらいわけじゃない (ほんとうはつらいけど)
掃除ができないからつらいわけじゃない (ほんとうはつらいけど)
空気が読めないからつらいわけじゃない (ほんとうはつらいけど)
人からつねに 本当はできるくせにやらないと思われていること
あいつは常識のない どうしようもないバカだと思われていること
下にみられていじめられること
なにかにつけて はぶられること
空気が読めないから 暗黙の了解がわからないから
何度経験しても回路にくみこまれないから
人の中で浮いて ターゲットにされてしまうこと
いつまでたっても同じような間違いをしては 叱られて
だまされてお金もまきあげられるし、かんたんな言葉にひっかかってついていっちゃうから
被害だって受けるし
それだって回路にくみこまれないから 何度も何度も
同じ被害うけるんだよね
それでも 誰もわかってくれない
「 自分が悪い 何も努力してない 」
何度も何度も経験しても したくないのに 失言して
どんなにがんばってもうまくできなくて
したくもないのに 目をつけられて
だれも なんにもわかってくれなくて
医者にいってもバカにされて 一度しかあったことない店員にもバカにされて
こんな人生だよ 発達障害なんて
ふつうになりたい ふつうになりたい
みんなみたいに ちゃんとしたい
できないできない
どうして? どうして?
どうしてできないの?
なぜ こんなふうに生まれてきてしまったの?
こんな人生 つらすぎる どうして生まれてしまったの?
ねえどうして?
発達障害が甘えだとかいってる人 私と人生 変わってみますか
学校いっても 仕事しても 何やっても がんばってもがんばっても
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
いじめられては人に利用されてバカにされる人生だよ
人生がんばって生きぬけるかな?
わたしは 生きるよ がんばる
どうやったって なおらないし このままの自分で生きていくしか道はないのだから
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ADHD妻です。
私が自覚している特徴を、ざっと思い出す範囲で書くと、一瞬で気が散る、考えを整理できない、他人の話がよく聞き取れない、頭がすぐにパニックになる、物忘れが多すぎる、すぐイライラする、衝動性も強くて問題を起こす、ストレスに弱くすぐに落ち込む、対人関係が非常に困難、などです。
二次障害で抑うつ、摂食障害、自傷、自殺未遂、対人恐怖症、パニック障害、などを引き起こしており、仕事につくとほぼ問題を起こして辞めています。(今は働いていません)
発達障害のつらさは、日々の日常生活の中のあらゆる場面で、周囲の人と同じようにちゃんとできないことが多すぎるのにも関わらず、血をわけた親を含めたすべての人がそれを「努力がたりない」「甘えている」「ダメなやつ」としか思わないということです。
「甘えてばかりの努力が足りないダメな人」認定された結果、親からは毎日毎日怒鳴られ、職場やクラスからは見下されバカにされ、様々な場面でいじめられ、仲間はずれにされ、小さなころから「自分は駄目だ、どうしてみんなみたいにできないの」と自分を責め続けて生きることになります。
発達障害の人が生きていくには、何よりも周囲の人の理解が必要不可欠だと感じます。
数年前、いつものように失敗して落ち込んだ私が、夫に悩みを相談していた時のことです。
私「また失敗してしまった。どうして私は何をやってもこうなのかな?○○ちゃんみたいにできないのかな……」
夫「そりゃあ……、君が何の努力もしてないからでしょう?」
!!!!!!!!??????
血へど吐く思いで頑張って頑張って生きて、資格だって必死で勉強してとって、薬飲みながら働いて、家では毎日嘔吐して、それでも毎日仕事行って、嫌な人づきあいだって心を粉にしてがんばってるっていうのに
それでも何の努力もしてないと!!!??
衝撃でした、結婚前から私の苦労を目に、耳にしていたはずの夫からこんな言葉が飛び出すなんて。
なぜこんなことを言われるのか。
数年たった今なら私にも理解できます。
隣で私の苦労を見て、聞いていた(はずの)夫にすら努力してない馬鹿者だと思われていたということ。
他人から見た私は、さぞ怠けもので、ぐうたらで、ドジばかりで、甘えている人間に見えていたことでしょうね。
何をやっても、どこに行ってもうまくいかない。
努力してるのに。 がんばってるのに。
いいえ、がんばりすぎているといっても罰はあたらないのではないでしょうか。
発達障害者の努力は、一般的な人から見ると、「できてあたりまえ」で「なぜできないのか全く理解できないし努力がたりないとしか思えない」ようです。
誰もわかってくれない……
どうして こうなってしまうのか、今でもわからないです。
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