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私はある趣味のサークルに入っており、人数も多くないので迷惑をかけないように、自分の障害のことをサークルのみなさんに話してある。
自分がどう思われてもかまわないのが、今後活動する上でお金の管理を任されたり、重要な事務仕事を任されたりすることがないようにである。
万が一重要なポストについてしまったら、サークル活動が、そして私のメンタルがとんでもないことになってしまうだろう。
「自分の身内にも病気の者がいる」「就労支援事業所で働いている身内がいる」といったことを話してくれる方がちょろちょろと出てくるようになった。
世界の広がりを実感する瞬間である。
案外近くに患者さんはいるものなのだな。
先日は、身内が就労支援事業所で働いているという方と お話する機会があった。
勤務先の話や、情報の交換、障害をもっている方のお話なんかもできて、非常に有意義な話だった。
また別の方、現在精神疾患のお子さんをもつ・悩めるおやごさんとお話する機会があった。
お子さんの病状がかなり重く、話を伺うだけでも、おやごさんの心労はとんでもなくきついことがありありと見えた。
普通は一般の方と こういった話はできない。
一般的な人は、発達障害や、精神疾患についての知識は無に近い。
ちょっと話すだけでも全然しらないなとわかる。
まったく悪いことではなくて、これは とても自然で普通のことだ。そして幸せなことだ。
精神疾患や発達障害でなくても、脳腫瘍とか、心筋梗塞とかなんでもだが、自分や家族が心筋梗塞になったりしなければ、わざわざ心筋梗塞の本を買って詳しく学びたいと思わないだろう。
自分の子供や家族に当事者がいるとかそういうレベルでないと、それらを知る必要は無いのだから。
これまでその病気について頭をなやます必要がなかったということ。
これは、普通でありながら、実はすごく、すごく
ものすごーく恵まれていることなのだと、非常に強く感じた。
誰も彼もがみんな平穏に暮らしているわけではない。
貧乏に苦しむ人、 病気に苦しむ人、 子供のことで苦しむ人、 親の介護でくるしむ人、世の中にはいろんな人がいる。
しかしみんなどうにかそれをかくして、 普通に見せて、何もないように、幸せないように、毎日を 生きているだろうか。
なぜ、人に苦しみを見せてはいけないのだろうか。
どうして何も悩みがないようにみせないとならないのだろうか?
生きていくと言うことは とても大変だ。
もっと、人に苦しみをみせられるような 世の中になればいいのに。
もっとうまく文章をまとめられればいいのにな。
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冷や奴がおいしい季節だなあー。
つい食べすぎるADHD妻ですが豆腐で腹がふくれるので、健康にはよい気がします。
最近リストカットについて考える機会があったので、書こうかな。
メンヘラという言葉が定着してずいぶん経つのと同様に、リストカットも今や珍しいものではないと思っている。
私も御多分に漏れず十代後半の頃からほとんど毎日リストカットしていて、腕はずたぼろの痕だらけである。(今はしていない)
しかし、世の中には、リストカットを知らない人、見たことがない人もまだいるらしい。
リストカットに拒否反応をする人もいるようだ。
私が十代後半、ある病院に行ったとき、医者にリストカットする人はお断りと言われて帰らされたことがある。
作業所にいる女性もそれで病院を変わった経験があるそうだ。
お断りされた当時もショックだったし、今思っても大変腹ただしいが、精神科医の中にもリストカットに対する偏見や、無知な人がたくさん存在するのだろう。
当時は自分が悪いんだとまたそれで自分を責めていたが、あの医者は不勉強で恥ずかしい無知な人だったのだと思う。
今では考えを改めていればよいのだが。
書籍を読んでいて知ったのだが、重度の摂食障害の患者も嫌われる傾向があるようだ。
治すのが難しいだからだろう。
患者(や家族)はもうそれ以外にどうしようも対処がなくなって病院に来ているというのに、 どういうことだ?
非常に無理解で、悔しいと思う。
自分はリストカットしてた時は、なぜリストカットしているのかよくわからなかった。
今思い起こすと、理由はこんな感じだったと思う
1.死にたい
2.限界まで高ぶったやり場のない怒りや苦しみの衝動をぶつけるため
3. 切ることによって苦しみに直面していた意識をすっとそらせる
プラスけっこう無意識で
4.誰かに助けてほしい、誰かにわかってほしい
と思っているということ。
親にも先生にも病院でもわかってもらえない。
「なにがつらいの?」
といわれても、 子供の頃からずーっとつらくて、もうなにもかもつらい中で、それが当たり前みたいになっているのに、「何が?」と言われてもなんといえばいいのかわからない。
そこで、とりあえず一番目先のつらいこと「仕事がつらい」とか「過食がおさまらない」言ってしまう。
自分もわかっていないから、さらにうまく伝わらない。
わからない苦しみがずーっと続いていく。
人間、つらいのが当たり前になったからといって、いつまでもそれに耐えられるわけではないのだ。
我慢に我慢を重ねて限界が来てしまって自傷に発展するのは、そう考えるとごく普通のことなんじゃないかと思う。
その自傷行為の根っこには何があるのかを
探ろうと、わかろうとしてくれる医者が、人が、増えたらいいのに。
そう思う。
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今日は朝からすごかったのできろくしたいと思う。
最近定番な、朝はうつうつーという感じで、
体がおもーーーくて、起き上がる気力はないんだけど、
手足だけがムズムズするような変な感覚。
足と手を、激しく激しく動かさないと狂いそうな……。
あの感じ(ADHDじゃないとわからないかもしれない……)
ストラテラ飲んで、
ふとんに寝たままで手と足を渾身の早さでばたばた動かして、
疲れたら30秒くらい休憩して、またばたばたして……というのをしばらくやっていたら、落ち着いてきた。
気分も乱降下。
昼食は夫にチンしてもらったものを食べた。
少しよくなって楽しく夫と話していたと思ったら、つまらないことでいらいらしてぶち切れたり……
切れた後はもう気力が一気にゼロになって、横になって ずっと寝ていた。
理由は不明・・
たまに、よくなったり、 悪くなったりする。
この気分の上がり下がりは非常に困る。
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発達障害は社会性の障害だと医者が言っていたことがある。
発達障害は個性だというけれど、個性の範疇でおさまるほどの軽度の人もいるし、
障害年金をもらっているような重度の人では全然ちがう。
(私は通っている作業所内でしか発達障害の方を知らないので、軽い人をみたことがないのだが)
自分の体感では個性でなんとかなるレベルではなくて、 自分一人の力で就職して生きていくことは無理だ。
軽い人を基準に「個性ですよ」みたいにひとくくりされてしまうと、
真面目に、死ぬほど努力しても社会に適合できない人たちがいることってことを、一般の人はわからないんじゃないのか
世の中は広い。
会社を創設して大金持ちになれるADHDもいるかもしれないが、
時給100円程度の作業所ですら、満足に働けないような人も いる。
性格は個性である。
発達障害は 障害だと思う。
さらに もうひと記事でも おなじようなことをかいている
こちら
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